伝統芸能の血統、極道出身の過去、そして才能を巡る二人の男の対立——。

観る前は正直、「泥沼の愛憎劇でドロドロしまくっているんだろうな」と身構えていました。嫉妬に狂った人間が相手の衣装を切り刻んだり、裏で足を引っ張り合ったりするような、昼ドラ的なドロドロ劇を覚悟していたのです。私自身、そういった不快なドロドロ感があまり得意ではないこともあり、どこか警戒しながら観始めました。

しかし、観終わったあとに残ったのは意外なほどの「爽やかさ」でした。

良い意味で予想を裏切られたその理由と、この作品の魅力について書いてみたいと思います。

陰湿な足を引っ張り合いが「ゼロ」という意外性

『国宝』を観て一番驚いたのは、喜久雄と俊介という2人の主人公が、陰湿な嫌がらせや泥試合を一切しないことです。

極道の息子と、歌舞伎界のサラブレッド。生い立ちも環境も対極にある2人が互いに強烈なコンプレックスや嫉妬を抱いているのは間違いありません。しかし、彼らがぶつかり合う場はどこまでも「舞台の上」限定なのです。

相手が良い芸を見せれば、悔しがりながらもその凄さに圧倒されてしまう。嫉妬はあっても、相手の才能に対する純粋なリスペクトが根底にあります。不快な足の引っ張り合いがないからこそ、物語のテンポを損なうことなく、純粋に2人の対決に没入できました。

ドロドロではなく「スポ根」に近い純粋さ

人間関係のドロドロ劇にならない最大の理由は、彼らの意識が「ライバルという人間」ではなく「歌舞伎という芸の深さ」に向いているからだと思います。

相手を蹴落としたいのではなく、「もっと素晴らしい芸を見せたい」「芸の頂点に立ちたい」という矛先が自分自身や芸に向いている。その姿は、昼ドラの愛憎劇というよりも、お互いを高め合う「スポーツ漫画の黄金ライバル関係」に近い清々しさがあります。

互いにしか分かり得ない狂気の世界を生きているからこそ、言葉には出さずとも最高の一番の理解者になっている。このドライで美しい信頼関係が、作品全体にどこか高尚な風を吹き込んでいます。

ドロドロ嫌いでも引き込まれる「芸の業(ごう)」

もちろん、作品自体が甘い青春モノというわけではありません。 描かれているのは人間同士の嫌なドロドロではなく、「芸を極めるために人生や人間性を削っていく狂気」です。

  • 身を滅ぼすほどの芸への執着
  • 「血筋」という理不尽な壁
  • 舞台の上で性別を超越する女形の凄み

これらは観ていて胸が締め付けられるほどの重厚感がありますが、決して嫌な不快感としては残りません。毒はあるけれど、後味はどこか美しく澄んでいる。ドロドロした愛憎劇が苦手な私にとっても、非常に心地よい重みでした。

おわりに:身構えている人にこそ観てほしい

「歌舞伎界の愛憎劇」という謳い文句から、人間関係のドロドロした不快感を警戒している人も多いかもしれません。しかし実際に描かれているのは、芸の頂点を目指す2人の男が織りなす、驚くほど純粋で熱いドラマでした。

ドロドロしたドラマが苦手な方にこそ、ぜひこの爽快な狂気に触れてみてほしいと思います。