
国民的な大ヒットを記録し、「最高傑作」とも称される『鬼滅の刃』。今更ながら全巻読破したものの、正直なところ、世間の評判ほどにはハマれませんでした。
もちろん、魅力的なキャラクターや胸を打つドラマは理解できます。しかし、物語が進むにつれて強く感じた「惜しい」ポイントを、作品へのリスペクトを込めて、あえて辛口で考察していきます。
※ 鬼滅の刃が大好きな方には不快な記事だと思うので、読まないことをオススメします。
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「首を切っても死なない」展開がループする戦闘の単調さ
物語の中盤以降、戦闘シーンに「ある種のワンパターン化」を感じてしまいました。
戦闘の黄金パターン
- 鬼の首を切っても致命傷にならない(特殊能力による)
- 炭治郎側が絶体絶命のピンチに陥る
- 間一髪で柱や兄弟子などの助太刀が間に合う
- 助太刀が負傷・瀕死の状態に追い込まれる
- 炭治郎が新技や活路を見出して勝利
この構造が、上弦の鬼との連戦で繰り返されると、「どうせこの後、誰かが助けに来るのだろう」「結局、主人公が覚醒して勝つのだろう」という予見性が生まれ、戦闘スリルが薄れてしまいました。熱い展開ではあるのですが、戦闘そのものの「戦略性」や「意外性」よりも、「精神力」と「ドラマ」の積み重ねに終始した印象です。
戦いの最中に挿入される「悲惨な過去」の回想による失速
戦闘描写の単調さに加えて、特に物語後半、鬼を討伐する直前に必ずと言っていいほど挿入される「鬼が人間だった頃の悲惨な過去の回想」が、戦いの勢いを削いでいると感じました。
鬼を単なる「悪」としてではなく、「哀しい存在」として描くというテーマは理解できます。
しかし、その回想が「戦いの決着の直前」という極めて重要な局面に、ワンパターン的に入れ込まれすぎることで、以下のような問題が生じてしまいました。
- 戦闘の勢いが断ち切られる: 激しい攻防のクライマックスで回想が始まると、読者の高揚感が一気に冷めてしまいます。
- 感情移入が間に合わない: 倒す直前になって急に鬼の過去を知らされても、同情する前に戦闘の「流れの悪さ」に意識が向いてしまい、げんなりしてしまいます。
まるで、かつて「回想ばかり増えて勢いがなくなった」と評された某自転車漫画のように、「物語を止めすぎている」という感覚が拭えませんでした。
緊迫感に欠ける、人間離れしすぎた柱たちの耐久性
鬼殺隊の最高戦力である「柱」たち。彼らが人間として極限の強さを持つことは理解できますが、それにしても耐久性が高すぎると感じました。
「致命傷を負っても、呼吸法や精神力でなんとか生きている」という展開が多用されます。
確かに、彼らの強靭な精神性を描く上では重要ですが、読者としては「え、あれで死なないの?」という疑問が先行してしまい、本来あるべき「命のやり取り」の緊迫感が薄れてしまいました。
普通なら即死級のダメージを負っても立ち上がり続けることで、「この戦闘では誰も死なないだろう」という予見性が生まれ、結果として戦闘へのめり込みきれなかった要因の一つです。
最終決戦:無惨戦は「物量」で押し切った感が否めない
ラスボスである鬼舞辻無惨との最終決戦についても、個人的には少し消化不良でした。
- 「あれやこれや」と理屈をつけてなかなか無惨が死なない。
- 様々な策や秘策を投入し、夜明けまで時間稼ぎをする。
- 結局、戦術や個々の覚醒というよりも、「参加した鬼殺隊士の総力(物量)」と「夜明け」という外部要因で押し切った印象が強いのです。
最終的には、主人公が知恵と工夫で一発逆転する「爽快感」よりも、鬼殺隊全体が「犠牲と覚悟」でひたすら耐え忍んだ「連帯感」が勝る結末でした。
もちろん、これはこれで感動的ですが、「最強のボスを最高の戦術で打ち破る」という少年漫画的なカタルシスを求めていた身としては、少し物足りなく感じてしまいました。
まとめ:ドラマと精神性は最高、バトルには物足りなさ
『鬼滅の刃』は、「人の想い」や「命の尊さ」、そして「熱い兄妹愛」といったエモーショナルな要素については、少年漫画らしいものだと思います。
しかし、今回挙げたように、「戦闘の展開や戦略性」「緊迫感のリアリティ」「物語の勢い」といった部分に重点を置いて読み進めると、上記の点が「惜しい」と感じる結果となりました。